Mc-LINERS特設

Mc.OKAZAKIのミリタリーよもやま話 その2

空母天城が演じた真の役割

今日は雲龍型航空母艦の2番艦「天城」について紹介してみようかと。(写真は1番艦の「雲龍」)

・・・と言っても、「天城」には“戦績”と呼べる物がありません。
雲龍型中型空母は、ミッドウェー海戦で日本が大敗した後に、急遽空母の数を揃えるために大量建造を計画された艦種で、16隻もの同型艦が造られる予定でしたが、結局完成したのは「雲龍」「天城」「葛城」のみで、未成艦が他に3隻(「笠置」84%完成、「阿蘇」60%完成、「生駒」60%完成)ありました。ちなみに同様にミッドウェー海戦後に米軍が送り出したエセックス級大型空母は15隻が完成、戦列に参加しています。実に5倍の建艦能力です(他に軽空母・護衛空母は数知れず)。こんな国を相手に戦争しても勝てっこないわな(^_^;

「天城」が完成したのは昭和19年8月10日。既に6月のマリアナ沖海戦で日本機動部隊は壊滅し、艦載機の大半も失われた後でした。生き残っている正規空母は「瑞鶴」のみ。その「瑞鶴」も、10月のレイテ沖海戦で、戦艦部隊をレイテ湾に突入させるための囮となって最期を遂げました。
乗せる艦載機も無く、まともな作戦遂行能力が無くなった日本海軍にとって、もはや「雲龍」級空母は無用の長物でした。結局その巨大な格納庫を活かした輸送艦として用途を見出したのですが、「雲龍」がフィリピンへの輸送任務中、潜水艦に撃沈されてしまいます。僅か4ヶ月の短い艦命でした。この時「雲龍」は1機も艦載機を積んでおらず、艦載機による哨戒が出来ていれば敵潜水艦の接近を察知出来ていたと言われます。
この事件から、残った「天城」「葛城」は出撃する事もなく、ただ呉沖に停泊して無為な日々を過ごす事となりました。

やがて日本本土にも米軍の空襲が始まりました。空襲による被害を避けるため、「天城」と「葛城」は、とんでもない偽装を施されます。呉沖の三ツ子島に繋留して飛行甲板上に道路を描き、小屋を乗せ、陸続きに見せかけようとしたのです。
しかしそんな事で米軍の目を誤魔化せる訳はなく、昭和20年7月24日と28日の空襲で両艦は米軍艦載機の猛攻を受けます。「葛城」は飛行甲板に爆弾1発を受け、甲板の一部がめくれ上がり中破のみで済みましたが、「天城」は4発の爆弾と無数の至近弾を受け浸水、応急処置の不備もあって遂に横転してしまったのです。

下の写真は戦後、米軍が撮影した「天城」の骸です。

艦橋前下より。横転後長く放置されていたため、潮の満ち引きによって艦に筋が描かれています。まさに「敗戦」という現実を突き付ける、象徴的な写真と言えるでしょう。

飛行甲板側より。爆撃によって中央部及び右舷に穴が開いているのが確認できます。画面右に白く線が引かれているのは、陸地に見せかけようとした偽装の名残です。

上空からの写真。完全に沈んでしまったのではなく、破壊された姿を晒している事によって悲壮感が更に募ります。

戦後、この「天城」が写されたVTRが各地で上映されました。当時の日本人はこの「天城」の悲惨な姿を見て、改めて自分達が敗れた事を認識したのではないでしょうか?そういう精神的な意味で、戦争の幕引きを演じた艦と言えるのかもしれません。

(2003・3・9)

 

Mc.OKAZAKIのミリタリーよもやま話 過去コンテンツリストへ

Mc-LINERSトップページへ