Mc-LINERS特設 Mc.OKAZAKIのミリタリーよもやま話 その2 空母天城が演じた真の役割 |
今日は雲龍型航空母艦の2番艦「天城」について紹介してみようかと。(写真は1番艦の「雲龍」) ・・・と言っても、「天城」には“戦績”と呼べる物がありません。 「天城」が完成したのは昭和19年8月10日。既に6月のマリアナ沖海戦で日本機動部隊は壊滅し、艦載機の大半も失われた後でした。生き残っている正規空母は「瑞鶴」のみ。その「瑞鶴」も、10月のレイテ沖海戦で、戦艦部隊をレイテ湾に突入させるための囮となって最期を遂げました。 やがて日本本土にも米軍の空襲が始まりました。空襲による被害を避けるため、「天城」と「葛城」は、とんでもない偽装を施されます。呉沖の三ツ子島に繋留して飛行甲板上に道路を描き、小屋を乗せ、陸続きに見せかけようとしたのです。 下の写真は戦後、米軍が撮影した「天城」の骸です。 艦橋前下より。横転後長く放置されていたため、潮の満ち引きによって艦に筋が描かれています。まさに「敗戦」という現実を突き付ける、象徴的な写真と言えるでしょう。 飛行甲板側より。爆撃によって中央部及び右舷に穴が開いているのが確認できます。画面右に白く線が引かれているのは、陸地に見せかけようとした偽装の名残です。 上空からの写真。完全に沈んでしまったのではなく、破壊された姿を晒している事によって悲壮感が更に募ります。 戦後、この「天城」が写されたVTRが各地で上映されました。当時の日本人はこの「天城」の悲惨な姿を見て、改めて自分達が敗れた事を認識したのではないでしょうか?そういう精神的な意味で、戦争の幕引きを演じた艦と言えるのかもしれません。 (2003・3・9) |
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