Mc-LINERS特設 Mc.OKAZAKIのミリタリーよもやま話 その8 連合艦隊、最後の旗艦 |
今日の題材は日本海軍の軽巡洋艦『大淀』です。 軽巡洋艦と言っても、『大淀』は全長180m、排水量は9980dもあり、重巡洋艦の『古鷹』級(177m、8585d)よりも大きく、日本最大の軽巡洋艦でした。 その後、横須賀に戻った『大淀』は、『紫雲』運用のための大型カタパルトを通常の物に換装し、格納庫を連合艦隊旗艦用の司令部施設へと改装。1944年5月4日、『大淀』は豊田副武大将の乗る連合艦隊旗艦となるのです。 写真は連合艦隊旗艦時。千葉県木更津沖に停泊中の『大淀』です。 開戦後、連合艦隊の旗艦は戦艦『長門』→戦艦『大和』→戦艦『武蔵』と引き継がれ来たのですが、ここで軽巡の『大淀』となった理由は @燃料情勢の悪化により、大型艦の行動に制限が出始めた といった所のようです。 さて、アメリカ軍との一大決戦となったマリアナ沖海戦が1944年6月に勃発します。『大淀』は出撃する事なく、木更津沖で連合艦隊旗艦として遥か南方で行われている決戦を督戦しますが、日本軍は主力空母3隻と、多くの艦載機を失って大敗してしまいます。 マリアナ沖海戦の敗北によって“絶対国防圏”と謳って来たサイパン・グアムが失陥し、日本本土にまでアメリカ軍の空襲が行われるようになると「浮いている艦に司令部を置くのは危険」と判断されるようになります。 既に太平洋戦線の帰趨は決していましたが、連合艦隊の総力を挙げた最後の大決戦の場が訪れます。1944年10月、フィリピン・レイテ島に上陸したアメリカ軍を叩く『捷一号作戦』です。 1944年10月25日、囮部隊の旗艦・空母『瑞鶴』から撮られた『大淀』の姿です。この後艦隊はアメリカ機動部隊の猛攻を受け、空母部隊は全滅、護衛の艦も次々に沈められて行きますが、『大淀』は35ノットの高速力と強力な対空火器で敵機を寄せ付けず、『瑞鶴』沈没後は囮部隊旗艦を引き継いで無事に日本へ帰還しました。しかし、これが『大淀』最後の出撃となったのです。 もはや戦局を覆すための作戦もなく、燃料すらなくなった『大淀』は広島県呉沖に停泊して無為な日々を過ごす事となりました。 連合艦隊最後の旗艦として栄誉を担った艦の、哀れ過ぎる末路でした。『大淀』はその後しばらく放置され、解体のために引き揚げられたのは2年後の1947年9月の事でした。 解体作業中の『大淀』。15.5cm3連装主砲は砲身が曲がり、艦橋はひしゃげてます。連合艦隊旗艦拝命時の写真の凛々しさと比べると、寂寥感は否めません。
(2005・1・16) |
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