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Mc.OKAZAKIのミリタリーよもやま話 その11

その名も『ヒロシマ』潜水艦

日曜洋画劇場で『K−19』を放映していたので視聴しました。
1961年に実際にあったソ連(当時)の原子力潜水艦の放射能漏れ事故を題材にした映画で、下手をすれば第3次世界大戦を引き起こしかねない状況の中、乗組員がまさに決死の覚悟で最小限の被害に食い止めようとするドキュメント。ハリソン・フォード演じる冷徹な艦長と、リーアム・ニーソン演じる温和な副長が、始めは対立しながらも、最後は共にこの未曾有の危機に立ち向かうのが見所ですかね。

で、事故を起こした『K−19』ですが、ちょいと調べてみたら『シャルンホルスト』もビックリの、かなり呪われた潜水艦だったようです・・・(゚O゚;)

『K−19』はNATO側通称『ホテル級』と呼ばれたソ連初の原子力弾道ミサイル原潜で、1960年に就役しました。艦橋内に3発の核弾道ミサイルを搭載していましたが、初期の弾道ミサイルのため水中発射が出来ない上に射程も短く(射程650km)、アメリカを射程内に収めるためには大西洋のアメリカ近海にまで進出しなければなりませんでした。この事が映画の題材になった事故時の「第3次世界大戦の危機」を引き起こす事となるのです。

『K−19』も『シャルンホルスト』同様に建造時から呪われた経歴の片鱗を見せており、コルクの溶接作業中に火災が発生して作業員2名が死亡した他、その溶接剤から気化したガスの中毒で6名の女性工員が死亡する事故も起こしています。
更に進水式の式典では祝いのシャンパンが割れず(これってかなり縁起の悪い事なんです)、原子炉の第一次試験期間中に冷却水の圧力異常が起こったり、ミサイルハッチが突如落下して電気技師1名が墜落死したり、造船所の技師が落下事故で1名死亡したりと、これでもかと事故や不運のオンパレード。挙句、最初の任務でNATOの基地近くを航海中に、映画の題材となった放射能漏れ事故を起こしてしまうのです。

冷却水の循環装置が故障し、炉心の冷却が出来なくなった『K−19』で原子炉がメルトダウン。このままでは熱暴走でヒロシマ型原爆の数倍の爆発をNATOの基地の目前で起こしてしまう事が判明。そうなったらまさに第3次世界大戦の危機・・・という状況で、乗組員たちは放射能漏れを起こしている原子炉へ生身で突入。冷却装置の応急修復に成功するも、突入した7名は直後に死亡、他20名以上がその後放射線による影響で発癌して後を追う悲劇となったのです。

・・・と、ここまでが映画で語られた物語ですが、実はこの『K−19』の呪われた経歴はまだまだ終わりません。原子炉を交換し、再就役した『K−19』ですが、1969年、今度はアメリカの潜水艦と衝突事故を起こし(広大な海洋で全長100mちょいの潜水艦が衝突するのは、まさに奇跡的な(?)不運)、1972年にはニューファンドランド沖を航海中に炭酸ガス処理装置故障に起因する火災が発生し、ガス中毒で28名もの死者を出しました。その後、弾道ミサイル艦から通信艦に艦種を変更する改修工事を行っている最中に2度も火災事故を起こして、6名が負傷しています。
散々な経歴を持つこの『K−19』は、“ヒロシマ”や“ウィドウメーカー(後家生産機)”と呼ばれて忌み嫌われ、最終的には1991年に現役を退きました。

信じられない程の不運や事故続きだった同艦ですが、その背景には当時のソ連海軍の杜撰な運用や管理があったのもまた事実のようです。その辺りの事情は社会主義国家時代には外部に出なかったものの、ソ連邦崩壊後に次第に明るみになって来たのです。

(2005・5・22)

 

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