Mc-LINERS特設 Mc.OKAZAKIのミリタリーよもやま話 その14 目の付け所は良かったんだけどねぇ・・・ |
太平洋戦争における日本の敗因は、勿論アメリカとの決定的な国力の差が最大の原因なんですが、ワタシに言わせると、どーにもこーにも運にも見放されてた(もしくは自ら運を逃がしていた)ように思えてならないんですよ。 今日はそんな数多くの不運のうち、「折角特定の分野に特化した性能を持たせたのに・・・」という艦を紹介してみようかと。 まずは軽巡『北上』と『大井』。『球磨』型軽巡洋艦の4番艦・5番艦として建造された両艦ですが、太平洋戦争開戦を控えた昭和16年には艦齢22年を数え、既に旧式化が否めなくなっていました。そこで海軍上層部はこの2隻を「艦隊決戦時の秘密兵器」への改装を企図したのです。その改装内容とは、7門あった14cm主砲を4門に減らし、その代わりに4連装61cm酸素魚雷発射管を10基搭載する「重雷装艦」とする事でした。 重雷装艦への改装を終えた両艦は戦艦部隊と共に行動し、来るべき艦隊決戦の時には両艦合わせて80本の酸素魚雷を敵艦隊に一斉に放つべく構想されていましたが、海戦のスタイルが「空母VS空母の航空戦」に変化した太平洋戦争ではそのような古い艦隊決戦思想は全く通用しなくなっていたのです。 続いてはやはり軽巡の『五十鈴』。『長良』型軽巡の2番艦として建造され、太平洋戦争ではその快速を活かして同型艦は空母機動部隊にも随伴していました。 本国で修理が開始された『五十鈴』ですが、海軍上層部から「また旧式艦の装備に戻しても意味がないだろう」との意見が出され、『五十鈴』は対空兵装に特化した防空巡洋艦として生まれ変わる事になったのです。7門あった14cm主砲は全廃され、代わりに12.7cm連装高角砲3基、25mm3連装機銃11基、25mm単装機銃5基と、重巡並みの対空兵装を持ち、レーダーも最新式の物を装備した新時代の艦隊型巡洋艦となりました。(写真は同型艦の『鬼怒』と、改装後の『五十鈴』) しかし改装が完了したのは1944年9月。『五十鈴』が護るべき空母機動部隊は、6月のマリアナ沖海戦で既に壊滅した後だったのです。その後『五十鈴』はレイテ沖海戦に参加、囮空母部隊の護衛として小沢艦隊に属しましたが、結局空母を護り通す事は出来ず失意のまま帰国。戦艦『大和』が沖縄に向かう途中に撃沈された1945年4月7日同日、遠い南方のジャワ方面で活動中だった『五十鈴』は、アメリカ潜水艦2隻の攻撃を受けて撃沈されました。
(2005・8・11) |
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