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Mc.OKAZAKIのミリタリーよもやま話 その17

海軍で一番人気のあった艦艇は??

旧日本海軍には前戦の兵や士官に絶大な人気を誇る艦がありました。

その艦が入港して来るだけで、他の艦の兵士たちはやんややんやの大騒ぎ。士官たちもそれを嗜めるでもなく、同様にニヤニヤしながらその艦の入港を今か今かと待ち詫びたと言います。

その艦とは・・・

この艦です。

・・・え?これはあまりにも有名な建造中の戦艦『大和』の写真じゃないかって? そりゃ確かに世界最強最大・最新鋭の“連合艦隊のシンボル”なら兵の志気も上がるだろうってもんです。しかし『大和』は『武蔵』と並んで当時海軍内でも軍機扱いの秘密兵器。一般の兵士の間にそれほどその存在が知れ渡っていた訳じゃないんで、「絶大な人気を誇る艦」とはちょっと言えないですね〜。

その絶大な人気を誇った艦と言うのは・・・

『大和』の背後にチラっと写っているこの艦なんです( ̄▽ ̄)ノ え?何でこんなどこにでもありそうな商船っぽいのが大人気の艦なのかって?
では、この艦の正体を明かしましょう・・・

この艦の名は『間宮』。艦種は“給糧艦”です。
“給糧艦”とは、艦隊や前戦に食料を届ける任務に特化した艦種で、日本海軍には1000d以下の小型船を除けば、給糧艦はこの『間宮』の他にはひとまわり小さい『伊良湖』しかありませんでした。
艦内には調理・加工施設や冷凍庫などの設備が整えられ、『間宮』は約1000トンの食材(1万人の食料約1ヶ月分)を搭載出来ました。艦内には腕利きのコック、ベテランの菓子職人が乗船し、アイスクリーム・羊羹・こんにゃく・豆腐などの製造まで艦内でこなしました。とりわけ羊羹は「間宮羊羹」のブランド名で将兵に大絶賛されていたと言います。
泊地に停泊中は、『間宮』の士官室が艦隊士官の海兵同期生が開く同窓会の会場にもなったと言います。まさに「移動・自活する高級レストラン」って訳です。

そんな『間宮』も1944年12月、南シナ海で米潜水艦『シーライオン』の雷撃で失われてしまいます。ちなみにこの『シーライオン』ですが、他にも戦艦『金剛』、駆逐艦『浦風』、敷設艦『白鷹』を撃沈しており、米潜水艦の中でも屈指の武勲艦だったりします。でもそれ以上に『間宮』を沈めた艦として、日本海軍将兵に深く恨まれたでしょうね(w

(2005・11・27)

 

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