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Mc.OKAZAKIのミリタリーよもやま話 その21

日本海軍随一の殊勲を挙げた駆逐艦

第3次ソロモン海戦(1942年11月12〜13日夜間)からほぼ64年目。今日取り上げるのは、同海戦で凄まじい活躍を見せた駆逐艦『夕立』です( ̄▽ ̄)ノ

日本海軍の駆逐艦には、伝説を残している艦が幾つかあります。
太平洋戦争の主だった海戦のほぼ全てに参加しながら、終戦まで生き残った『雪風』、2度も“自分以外の艦隊が全滅”という修羅場をくぐった『時雨』、敵駆逐艦3隻と刺し違えた『綾波』、旧式ながら敵潜水艦との名バトルを演じ、終戦まで生き残った後に座礁して放棄された『神風』・・・。しかし、「相手に最も甚大な損害を与えた駆逐艦」という意味合いでは、この『夕立』は群を抜いています。

第3次ソロモン海戦は、ガダルカナル島の米軍飛行場への砲撃に向かった戦艦『比叡』『霧島』を主軸とした日本艦隊(戦艦2・軽巡1・駆逐艦10)と、それを迎え撃った米軍艦隊(重巡2・軽巡3・駆逐艦8)の、太平洋戦争では珍しい大艦隊同士の夜間ガチンコ砲雷撃戦です。
ガダルカナル島に接近するまでの間、スコールのために何度か反転→再進撃を繰り返した結果、隊列がガタガタになっていた日本艦隊。米軍艦隊はその接近をレーダーで察知していたものの、ガタガタの隊列だったために日本艦隊の全貌が判別出来ずに混乱が発生します。レーダーに日本の戦艦2隻を捕らえていざ攻撃開始・・・と思った米軍の先頭を進んでいた駆逐艦『カッシン』は、いきなり目の前を日本駆逐艦が通り過ぎ、驚いて転進したせいで米軍も艦列を乱し、更に混乱に拍車が掛かります(この時通り過ぎたのが『夕立』と『春雨』)。
このような事から、レーダーで先に日本艦隊を捕らえておきながら、結局両軍とも夜間の有視界での乱戦となって海戦が始まります。戦艦2隻を主軸とした日本艦隊と、巡洋艦5隻を主軸とした米軍艦隊の間で激しい砲雷撃戦となりましたが、前述の通り『夕立』と『春雨』は戦闘の前に米軍艦隊の列の反対側に飛び出していました。『春雨』は日本艦隊の列に戻ろうとしましたが、『夕立』はそのままの位置をキープします。
つまり、

(駆逐艦)●      (米巡)○
 (比叡)●      (米巡)○
 (霧島)●      (米巡)○  ●(夕立)
(駆逐艦)●      (米巡)○
(駆逐艦)●      (米巡)○

『夕立』は、まさに背後から一方的に攻撃出来るベストポジションにいたのです。『比叡』が探照灯を照らし、米軍艦隊を浮かび上がらせます。距離2000m、『夕立』は軽巡『アトランタ』に向けて魚雷を発射します。見事に命中し『アトランタ』は撃沈、座乗の艦隊次席指揮官ノーマン・スコット少将戦死。続いて駆逐艦『バートン』に至近距離から魚雷2本を命中させ、これも轟沈。さらに駆逐艦『アアロンワード』『カッシン』を背後から砲撃してこれを大破させた後、軽巡『ジュノー』の艦橋にも砲弾を浴びせて指揮系統を破壊します。

大戦果を挙げた『夕立』ですが、残念ながらここで武運が尽きます。米艦隊の戦列に突撃して大損害を与えた『夕立』ですが、気付くと米軍艦隊の戦列を飛び越えて、両軍の砲弾が飛び交う中心地帯に出てしまったのです。敵からか味方からか分からない砲弾を数発浴びた『夕立』は大火災を起こし、航行不能に陥ります。
そのまま戦域は他の海域に移り、『夕立』はその間に復旧を試みますが、特に機関部に修復不能のダメージを受けていました。そこで乗員のハンモックを持ち出して、帆まで張って参戦しようとしましたが、僚艦『五月雨』が司令部からの命令で『夕立』を処分し、生存者を救助する事となったのです。こうして『夕立』は単艦で軽巡1隻・駆逐艦1隻撃沈、軽巡1隻・駆逐艦2隻撃破の武勲と共にソロモン海に沈んで行ったのでした。

史上稀に見る大乱戦となったこの海戦、両軍の被害も大きく、日本軍は探照灯を点けた事によって集中砲火の的になった戦艦『比叡』が大破・航行不能(翌日空襲を受け自沈)、駆逐艦『夕立』『暁』沈没、駆逐艦『天津風』『雷』『村雨』『雪風』が損傷。米軍は更に酷く、軽巡『アトランタ』『ジュノー』『ヘレナ』、駆逐艦『バートン』『カッシン』『ラフェイ』『モンセン』沈没、重巡『サンフランシスコ』『ポートランド』、駆逐艦『アアロンワード』『オバノン』『スターレット』が損傷。主席指揮官キャラハン少将・次席指揮官スコット少将ともに戦死。無事だったのは駆逐艦『フレッチャー』ただ1隻のみでした。

ちなみにこの夜戦が行われた1942年11月13日は金曜日だったそうで、散々な目に遭った米軍将兵は「やはり13日の金曜日は厄日だ」と噂しあったとか。

(2006・11・14)

 

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