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Mc.OKAZAKIのミリタリーよもやま話 その22

重巡四姉妹物語

(写真は上から『高雄』『愛宕』『摩耶』『鳥海』)

今年初めての軍ネタは、Mc.専門分野のストライクゾーンど真ん中である太平洋戦争の日本海軍。とりわけ造詣が深い重巡洋艦を取り上げます。
今日取り上げるのは4隻の『高雄』級重巡洋艦。太平洋戦争では重巡部隊の主力として、緒戦から連合艦隊の終焉であるレイテ沖海戦まで縦横無尽に働きまくった、いずれも武勲の誉れ高い艦です。排水量14,838d、速力34.25ノット、全長203.76m、全幅20.73mと大型の巡洋艦で、20.3cm連装砲5基10門、12.7cm連装高角砲4基8門、25mm連装機銃4基、13mm連装機銃2基、61cm魚雷4連装発射管4基16門、水上偵察機3機搭載と、対空兵装を除けば重巡として世界最強クラスの戦闘力を誇ります。また、大型の艦橋は艦隊旗艦として司令部の要員約100名を収容できるスペースを持っていました。

そうそう、一般に船は女性に形容される(“処女航海”とか“姉妹艦”って言いますし)ことから、今回はこの4隻を進水した順に長女・次女・三女・四女と呼ぶ事にします。
長女の『高雄』は1932年5月31日に竣工。次女の『愛宕』は進水こそ『高雄』より1ヶ月遅かったものの、竣工は1932年3月30日と、長女よりも先となりました。三女の『摩耶』、四女の『鳥海』は1932年6月30日同日に竣工。何にせよこの手の大型艦にしては珍しく、3ヶ月の短い間に続々と竣工した事になります。まさに姉妹と言っても四つ子みたいなものです。

竣工から9年後の1941年12月8日、日本は太平洋戦争に突入します。開戦時、この四姉妹はフィリピン・マレー方面の攻略に携わり、その後は優れた艦隊旗艦としての設備を利用されて四女『鳥海』が南遣艦隊旗艦・第8艦隊旗艦を歴任するなど、八面六臂の活躍を見せるのです。
長女『高雄』と次女『愛宕』はコンビを組む事が多く、南太平洋海戦・ガダルカナル島砲撃・第3次ソロモン海戦を共に戦い抜きました。
三女『摩耶』も南太平洋海戦・第3次ソロモン海戦に参戦。遠くアリューシャン列島まで赴いたりと活躍の場を広めていましたが、1943年11月5日のラバウル空襲で爆撃を受けて中破、損傷復旧のために本国への帰還を余儀なくされます。
四女『鳥海』は第8艦隊旗艦として第1次ソロモン海戦に参戦。『古鷹』級重巡4隻を率いて敵艦隊に殴り込みをかけ、敵重巡4隻を撃沈する大戦果を挙げました。

四姉妹が再び集結したのが1944年6月19日のマリアナ沖海戦でした。この時三女の『摩耶』は損傷復旧の際に第3主砲塔を降ろして、対空砲を増設した防空巡洋艦へと変身しています(写真の『摩耶』と『鳥海』の艦橋前辺りを見比べると一目瞭然です)。しかし四姉妹は特に活躍の場もないまま、空母3隻と艦載機の殆どを失った日本艦隊は完全敗北。そして四姉妹は連合艦隊最後の決戦・レイテ沖海戦を迎えるのです。

フィリピンのレイテ島に上陸した米軍を叩く―――。その主力である第1遊撃部隊主隊・通称栗田艦隊(戦艦5・重巡10・軽巡2・駆逐艦13)に四姉妹は配置されます。しかも戦艦『大和』『武蔵』といった巨艦を差し置いて、その優れた能力から次女『愛宕』が総旗艦に任命されたのです。連合艦隊の総力を挙げた大決戦の主力艦隊に配置され、旗艦をも担う・・・四姉妹最大の栄誉の瞬間でした。

しかしその悲劇的結末は海戦の冒頭にいきなり襲い掛かってきたのです。
1944年10月23日早朝、レイテ湾を目指してパラワン水道を北上していた栗田艦隊は、米潜水艦の待ち伏せ攻撃を受けたのです。
6時32分。米潜水艦『ダーター』の放った魚雷4本が次女『愛宕』に命中。
同時刻。やはり『ダーター』の放った魚雷2本が長女『高雄』に命中。
6時53分。次女『愛宕』転覆沈没。機関長以下360名戦死。
6時57分。米潜水艦『デイス』の放った魚雷4本が三女『摩耶』に命中。船体切断。
7時05分。三女『摩耶』轟沈。艦長以下336名戦死。
21時07分。長女『高雄』応急修理完了、駆逐艦2隻の護衛の下にブルネイ経由シンガポールへ退却。
こうして決戦を前にして、四姉妹は二人を永遠に失い、一人が大怪我を負って戦場を離れる事になったのです。残されたのは末っ子の『鳥海』のみ・・・。『鳥海』は失われた3人の姉の分まで闘う事を決意したのかもしれません。

しかし四女『鳥海』が姉たちの後を追う日はすぐにやって来ました。2日後の10月25日6時45分、栗田艦隊はサマール島沖で米護衛空母艦隊と遭遇。史上稀に見る戦艦部隊と空母部隊の艦隊決戦が勃発したのです。
『鳥海』は姉の敵討ち、そして姉の分まで戦おうと猛然と米艦隊に突撃をかけます。逃げ惑う米護衛空母。しかし逃げながらも艦載機を発進させて反撃を試みる米軍によって『鳥海』はひとつ、またひとつと直撃弾を被ります。
12時26分。戦闘が終わります。米軍は護衛空母1隻・駆逐艦3隻を失いましたが、果敢なる反撃で栗田艦隊も重巡『鈴谷』が沈没、重巡『筑摩』が艦尾切断、重巡『熊野』が米駆逐艦の雷撃で大破していました。そして『鳥海』もまた、既に身動きの取れない程のダメージを艦全体に受けていたのです。栗田司令は命じます。「航行不能の『筑摩』と『鳥海』を自沈処分せよ」
こうして10月25日午後、駆逐艦『藤波』の魚雷によって四女『鳥海』海没処分。

それから10ヶ月の時が流れました。
長女『高雄』の姿はシンガポールにありました。4つ子のようにほぼ同時に誕生した姉妹たちは皆フィリピンの海に沈んで行き、『高雄』もまた、その後シンガポール港内で英潜水艦の攻撃を受けて、もはや動く事すら出来なくなっていました。あの日散って行った妹たちを思いながら、長女『高雄』はその身を療養所のような港に横たえていたのです。
終戦を迎えた後、妹たちが散った日から約2年後の1946年10月29日、接収された長女『高雄』は、英軍の手によりマラッカ海峡で海没処分となったのでした。

時を同じくして生まれた四姉妹。本当は散る時も一緒を望んだのかもしれません。
長女『高雄』、享年14歳。次女『愛宕』・三女『摩耶』・四女『鳥海』、享年12歳。

(2007・1・30)

 

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