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Mc.OKAZAKIのミリタリーよもやま話 その24

太平洋戦争・超不幸艦艇列伝 〜日本海軍十傑編@〜

人間もそうですが、艦艇にも誕生した時から持って生まれた運・不運があるように思えてなりません。日本海軍でも、駆逐艦『雪風』のように幾つもの作戦に参加しながら、終戦時にほぼ無傷だった超幸運艦がいる一方で、今回ワタシが選んだ10隻のように、戦争とは言えちょっと乗りたくないフネまで(^_^;、運命は様々です。

まずは10位〜7位を挙げてみましょう。

10位:重巡洋艦『摩耶』
可愛らしい女性のような名前の重巡ですが、なかなかの不運っぷりを発揮したこの艦。太平洋戦争に向けて同型艦が近代化改装を行っていく中、この艦の順番が来る直前に開戦になってしまい、本格的な改装を受けられずに参戦。同型艦が諸海戦で活躍する中、これといった戦果を挙げられないままラバウルで空襲を受けて中破。修理と同時に近代化改装をやっと受け、対空兵装を強化した防空巡洋艦として生まれ変わりますが、今度はレイテ沖海戦で米潜水艦から攻撃を受けて魚雷が4本命中。船体は真っ二つに折れて轟沈。救助された乗組員は戦艦『武蔵』に移乗しますが、その『武蔵』も翌日空襲で撃沈・・・
ちなみに映画『火垂るの墓』で清太が「父が『摩耶』という艦に乗っている」という台詞がありますが・・・多分ダメだったろうな。

9位:重巡洋艦『鈴谷』
開戦当時は最強・最新鋭の巡洋艦として日本海軍の期待を背負った『鈴谷』。その割に戦績はいまいちパッとせず、特筆すべき戦果もないままレイテ沖海戦に参戦。サマール島沖で米護衛空母群を発見してここぞとばかりに突撃しますが、反撃して来た米軍艦載機の攻撃を受けて至近弾1を受けます。この至近弾により搭載していた魚雷が誘爆、火災が発生。さらにその火災が高角砲の弾薬庫に回って大爆発。日本海軍最強と言われた巡洋艦は、哀れ至近弾1で失われてしまいました。

8位:戦艦『陸奥』
悲劇の戦艦として有名なのでご存知の方も多いはず。
誕生から不運に見舞われた同艦、1921年のワシントン軍縮条約に引っ掛かり、建造中だった『陸奥』は各国から廃棄を迫られますが、日本海軍はこれを断固拒絶。保有を認める代わりにアメリカ・イギリスは2隻の大型戦艦の建造を許可されたのでした。これらの戦艦は、のちにビスマルク追撃戦や日本への艦砲射撃で活躍する事になります。
こうした無理をしてまで建造した『陸奥』ですが、太平洋戦争では使い道がなくて完全に持て余します。第2次ソロモン海戦に参加してはみたものの、鈍足のために艦隊全体の足を引っ張る有様。挙句、呉・柱島沖に停泊中に謎の爆発事故で爆沈。スパイの破壊工作説、乗組員の心中自殺説など、その原因はいまだ特定されていません。

7位:重巡洋艦『青葉』
第1次ソロモン海戦で米重巡4隻撃沈の大戦果を挙げた三川艦隊の1隻だった『青葉』ですが、その後はその幸運のツケを払うかのような不幸っぷり。
2ヵ月後のサボ島沖海戦では敵巡洋艦隊を味方と思い込んで「ワレアオバ♪」と無電を打ち、発光信号まで送りながら接近してフルボッコ。長期に渡る修理を終えて再び前線に出た所で空襲に遭い、かろうじて浅瀬に乗り上げて沈没を免れるほどの大損害を受けます。再び修理のために本土に戻り、ようやく復帰したと思ったら今度は潜水艦に狙われて魚雷を受けて航行不能に。味方に曳航されてかろうじて港に戻った所に更に空襲を受けて小破。それでもなんとか国内に戻る事が出来ましたが、あまりのダメージに修理の目処が立たずに呉港沖に放置状態。最期は身動き取れない所を呉空襲の際に滅多打ちにされて大破着底。傷だらけの生涯を終えました(写真は着底後の『青葉』)。

6位:駆逐艦『涼月』
戦艦『大和』と共に沖縄に出撃し、生還した事から幸運艦と思われがちな『涼月』ですが、その生涯はまさに傷だらけ。
1944年1月、高知県沖で米潜水艦の魚雷を2本受けて、なんと艦首と艦尾が切断。それでも本体は沈まずに味方に曳航されて何とか帰港。同年10月には大分県沖で再び米潜水艦からの魚雷2本が命中、またも艦首切断。この時はなんとか自力で帰港しています。そして翌年4月の沖縄特攻作戦でも、やはり艦首に直撃弾を受けて大破。微速後進でなんとか生還したのでした(写真はその時の物)。その後は航行不能のまま防空砲台として使われ、戦後は上部構造物を撤去されて防波堤となりました。
この艦の艦首勤務は、宇宙戦艦ヤマトの第3艦橋勤務よりイヤかもしれない(^_^;

5位:航空母艦『信濃』
原子力空母『エンタープライズ』が完成するまで、世界最大の空母だった『信濃』ですが、もう1つの記録も所持していました。それは「世界で最も短命だった軍艦」です。
ミッドウェイ海戦で主力空母4隻を失った日本海軍は、建造中だった大和型戦艦の3番艦『信濃』を空母に改装。途中建造休止になったり、逆に工期が縮まったりと混乱が続く中、1944年10月に進水式を迎えます。しかしドッグ内でまだ作業中にドッグに海水を入れてしまうミスを犯し、工員は溺れるわ、固定されていなかった船体はドッグ内で動いてしまって艦首を壁面に激突させるわで大混乱。この事故で竣工は1ヶ月遅れます。それでも何とか無理矢理竣工させて、最終艤装を行うために横須賀から呉へ回航される事となりました。
その途上、和歌山県沖で米潜水艦の攻撃を受け魚雷4本が命中。これくらいのダメージで沈むような設計ではなかったのですが、防水扉が工事のためのケーブルで閉まらないわ、手抜き工事でハッチを閉めても2センチくらい隙間が出来るわ、乗員は不慣れで巨艦の中で迷子になる者も出るわで浸水を止められず、8時間後に転覆沈没。竣工から僅か10日の命でした。

4位:航空母艦『翔鶴』
日本空母のエースとして活躍し続けた『翔鶴』と『瑞鶴』ですが、幸運艦と呼ばれる『瑞鶴』と対照的に、『翔鶴』は「被害担当艦」と呼ばれる不幸っぷりで名を残しています。
珊瑚海海戦では米空母『レキシントン』を撃沈するも、『翔鶴』も反撃を受けて飛行甲板を破壊されて中破。『瑞鶴』は無傷。
南太平洋海戦でも米空母『ホーネット』を撃沈するも、『翔鶴』も反撃を受けて大破。『瑞鶴』は無傷。
マリアナ沖海戦では艦載機発進後に米潜水艦から魚雷4本を受けてガソリンタンクが爆発・炎上し遂に沈没。『瑞鶴』は損傷を受けるも無事生還。
名艦『瑞鶴』の影になり続けたその生涯。ちなみに被害担当艦『翔鶴』を失った『瑞鶴』は、次に参加した作戦で撃沈されてしまいます。

TOP3の発表は次の日記で。

(2008・4・19)

 

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