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Mc.OKAZAKIのミリタリーよもやま話 その26

恐らく人類史上、最後の艦砲戦・・・

海戦の様式が艦隊決戦から航空決戦に移行した第2次世界大戦。真珠湾攻撃だけでなく、ミッドウェイ海戦、マリアナ沖海戦、タラント軍港空襲、ティルピッツ爆撃、そして戦艦『大和』の沖縄特攻作戦など、互いの艦影を見る事無く、航空機の攻撃で雌雄を決した戦いが主流となって行ったのです。
そのため艦艇も巨砲や魚雷よりも対空砲に力を入れた艦が多くなり、もはや敵艦との撃ち合いという旧来の軍艦の戦い方が形骸化した大戦末期、日本の巡洋艦と英国の駆逐艦との間で「人類史上、最後の艦砲戦」が発生しました。時に1945(昭和20)年5月16日、既にドイツは降伏し、連合軍のほぼ全てを相手に日本軍が絶望的な抵抗を続けていた頃です。

この時シンガポールには、日本軍の残存艦艇が停泊していました。フィリピンを米軍に占領され、日本本土への帰路を断たれた艦隊です。内訳は主力の重巡洋艦4隻と旧式の駆逐艦数隻と水上機母艦、その他小艦艇。しかし重巡のうち2隻は大破して航行不能状態で、実質戦力と呼べるのは『羽黒』と『足柄』の2隻だけでした。

この艦隊に、陸軍から「インド洋アマンダン諸島で孤立している部隊への補給と、マレー方面への撤退を頼みたい」との依頼が来ます。何も出来ず軍港でくすぶっているよりは、味方を少しでも救いたい・・・。方面艦隊司令の福留中将は、橋本中将指揮下の重巡『羽黒』と旧式駆逐艦『神風』にこの任務を託します。
『羽黒』は大破して復帰の目処が立たない重巡『妙高』『高雄』から砲弾を補充。輸送物資搭載のために魚雷発射管を撤去し、食料(米・麦8500俵、野菜等)、燃料(ガソリン等、ドラム缶1200本)、小銃弾箱弾薬を満載して、やはり魚雷発射管を撤去して物資を積んだ『神風』とともに5月12日にシンガポールを出港します。

しかしこのたった2隻の艦隊は、15日には英軍の潜水艦と哨戒機に発見されてしまいます。発見された以上アマンダンまで到着するのは困難と判断した橋本中将は、艦隊進路をマレー半島のペナンに向け変えます。
翌16日には英軍空母の艦載機の空襲を受け『羽黒』が被弾。そしてこの日の夜、5隻の駆逐艦からなる英国艦隊がレーダーで『羽黒』を捕捉し、夜戦を仕掛けて来たのです。

損傷している上に、数において勝る敵に先手を取られた『羽黒』は、それでも砲塔脇の搭載物資を投棄して戦闘態勢が整うと砲撃を開始します。しかし直後に英駆逐艦が一斉に放った魚雷の1本が『羽黒』に命中。速力が低下し、搭載したドラム缶のガソリンが引火、火災が発生します。
夜の闇に火災を起こした『羽黒』は格好の標的にされます。しかも反撃しようにも世界最強の魚雷・63式酸素魚雷は下ろしてしまっている状態・・・。『羽黒』の橋本中将は『神風』に戦場からの離脱を指示し、自らを囮にして5隻の英駆逐艦を引き付けます。

かつてその精悍なフォルムから“飢えた狼”と称せられた艦影も、魚雷という牙を抜かれた状態では、5匹の猟犬に太刀打ち出来ませんでした。更に3本の魚雷と、無数の砲弾を浴びた『羽黒』は左に傾きながら艦首から徐々に沈み始めます。至近距離まで接近した英駆逐艦『ヴィラーゴ』からとどめの魚雷を受けた『羽黒』は、夜明け前のペナン沖にその姿を消しました。これが人類史上最後の「軍艦同士の砲撃戦」の結末でした。

翌朝、戦場に引き返して来た『神風』は洋上に漂う約300名の生存者を救出しますが、橋本中将はじめ600名近い乗組員が『羽黒』と共に南海に消えました。
ちなみに最後に残った僚艦である重巡『足柄』も、翌月には輸送作戦中に英潜水艦の魚雷で撃沈されてしまいます。『神風』は無事戦争を生き抜き、戦後は復員船として多くの日本人を本土に連れ帰りますが、その任務中に座礁して失われる事になります。

(2008・5・28)

 

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