2011/03/20 (日)
孔明の死で終わるかと思ってたら、どうやら蜀漢滅亡まで描いてくれるみたいで 〜今週の『最強武将伝 三国演義』
いろいろあって2週ばかりレビューをお休みしている間に、孔明さんが死んでしまいました(汗
残り2話で三国のその後を描いて行くようですが、ここからの流れもなかなかに激動なので内容は濃いです。
さて、孔明の死に感付いた司馬懿は蜀の陣営を探らせます。その頃蜀の陣営では魏延の下に費禕が現れて、孔明の死と、軍権を楊儀と姜維が継いだ事を報せます。孔明死後は自分が蜀軍を率いるつもりだった魏延は怒り、直属の将となっていた馬岱と共に蜀の軍権を握るべくクーデターを画策します。しかしその動きは既に孔明が生前から察しており、楊儀にある策を託していたのでした。
孔明の死が間違いないと確信した司馬懿は撤退を開始した蜀軍を追撃・・・しかしそこに現れたのは、愛用の四輪車に乗った孔明の姿!またも計られた、と一目散に逃げ出す司馬懿・・・しかしこれはやはり孔明が生前に作らせておいた自分の木像でした。有名な「死せる孔明、生ける仲達を走らす」のエピソードです。
陽平関まで撤退した蜀軍ですが、前述の通り楊儀派(楊儀・姜維・費禕その他)と魏延派(魏延・馬岱)とで二分されて一触即発の危機を迎えます。
直接対峙した楊儀と魏延。そこで楊儀は孔明に託された策の通り、魏延に「俺を殺せる者がいるか、と3回叫べたら降伏する」と告げます。もはや孔明がいない今、恐れる者は何も無い魏延は一笑に付しながら叫びます。「俺を殺せる者がいるか!」と。
しかし次の瞬間「ここにいるぞ!」と背後から声を聴いた魏延は、一刀の下に斬り倒されます。魏延軍に加わっていた馬岱こそ、魏延がクーデターを起こす事を予想した孔明が事前に魏延軍に潜り込ませていた刺客だったのです。こうして蜀軍は反乱の芽を摘むと同時に、貴重な猛将を失ったのでした。
その頃魏では皇帝・曹叡が病没。後を継いだ幼帝・曹芳を傀儡にして、曹爽(曹真の子)が実権を握ります。野心家の曹爽に目を付けられないため、司馬懿は仮病で瀕死を装いその警戒の目を解き、機会を伺うのでした。
時はやって来ます。曹爽が皇帝を伴って呑気に狩りに出掛けた隙を突いて挙兵した司馬懿は、二人の息子、司馬師・司馬昭と共に中央の実権を掌握。皇族ゆえに降伏すれば許されるであろうと思っていた曹爽ですが、待ち構えていた運命は一族郎党の処刑でした。
こうして曹一族を抹殺して魏を乗っ取った司馬懿に対し、夏侯淵の子・夏侯覇が叛旗を翻すものの、敗れた彼は姜維を頼って蜀に亡命するのでした。裏切り者の夏侯覇を追って蜀と戦う司馬師軍ですが、孔明が発案していた連弩からのまさに雨のように降り注ぐ矢の前に敗退します。
その後、今度は仮病ではなく本当に病に倒れた司馬懿は、二人の息子に実権を委ねてその波乱の生涯を終えます。また、呉では偉大な君主・孫権が病没。死後の後継者争いに巻き込まれて国の大黒柱であった陸遜までも失って、急速にその力を弱めて行くのでした。
そんな呉に対して遠征軍を向ける司馬昭ですが激戦の末に敗退し、蜀に対してもまた徐質将軍を派遣して姜維と戦わせるも敗れ、徐質は戦死してしまうのでした。
さて、今回の武将能力比べは2本立て。まずは蜀の終盤を飾る二人の良将、馬岱と夏侯覇です。・・・え?姜維をまだ取り上げていないって?まぁそれは最終回にライバルたる魏の二人の名将と一緒にでも。
馬岱は馬超の従兄弟であり、曹操が馬騰(馬超の父)の一族を皆殺しにした時に、一族唯一の生き残りとして登場。その後は馬超に忠実に従い、馬超が張魯に身を寄せていた時には劉備軍とも戦っており、魏延を退ける武勇を見せるものの、張飛には敵わずに敗走しています。
馬超が劉備揮下に加わってからは蜀軍の一員に名を連ねますが、馬超が早々に病死してしまったために後事を託され、まさに馬超の代わりとなって八面六臂の活躍を見せます。南蛮征伐や北伐でも主力部隊の一角を担い、特に第2次北伐では関興とともに羌族軍の雅丹将軍を捕らえる大功を挙げています。
第5次北伐では、孔明の司馬懿と共に魏延を焼き殺そうとした策が失敗すると、火を付けるタイミングを誤ったとして孔明に問責されて、棒打ちの刑に処された上に一兵卒に落とされ、更に魏延の部下にされてしまいます。しかしこれは孔明が魏延の反乱を防ぐためのいわば魏延に鈴を付けるための策で、孔明が無実の馬岱の忠義の心を頼って授けた、まさに苦肉の策でした。
案の定、孔明の死後に反乱を起こした魏延が馬岱に斬り殺されたのは前述の通り。孔明は遺言で忠義の将の名を数人挙げていますが、その中でもとりわけ馬岱を大事にするように、と書き残しています。しかし残念ながらその後の活躍は殆ど描かれる事はなく、蜀滅亡の前に病没したと思われます。
ゲームでは武将として可もなく不可もない能力。魅力値がそこそこあるので、施しなどでも結果を出してくれます(ただし内政は不得手)。武力81は中盤までなら主力して使える数値。ちなみに馬岱の武力はコーエーの三國志(初代)では87あったのですが、Uで83に落とされ、このVでは81に・・・。その後のシリーズでは盛り返しているようですが、まぁ85前後が妥当じゃないかな?と思います。
夏侯覇は魏建国の元勲にして屈指の名将だった夏侯淵の長男として、弟の夏侯威・夏侯恵・夏侯和と共に4兄弟として登場します。司馬懿は彼らを「覇・威は武勇に長け、恵・和は軍略に長ける」と評しており、一目置いていました。
司馬懿のクーデターに際しては夏侯覇も曹一族に連なっている上に、犬猿の仲の郭淮が司馬懿に従って征西将軍になった事から身の危険を感じて挙兵するも敗れ、蜀の姜維を頼って亡命。
蜀では皇帝・劉禅の皇后の母が夏侯覇の従姉妹(長っ!)という事もあって厚遇され、魏の地理に明るい事もあって姜維からも重宝されて、その片腕として大きな戦果も挙げています。
しかし景耀5年(262年)10月、第8次北伐で魏のケ艾の罠に嵌った姜維を庇い、全身に矢を受けて壮絶な戦死を遂げました。その子たちは蜀が魏に降伏した時に捕らえられましたが、謀反人の子でありながら「元勲・夏侯淵の子孫」として恩赦を受けて流罪で済んでいます。
ゲームでの能力は武力87と武に特化しながらも他の能力もまずまずバランスが良く、使い勝手が良い武将です。特に人材不足が顕著になる後半のシナリオでは、終盤まで最前線で主力として戦える能力です。魏の王族なので蜀でプレイすると登用するのが難しいですが、やはり姜維とコンビで魏との戦いに投入したくなりますね。
続いては司馬懿の二人の息子・司馬師と司馬昭です。
二人の初登場は、馬謖の計略に掛かった曹叡によって司馬懿が蟄居させられた時。司馬懿でなければ孔明に対する事は出来ないと読んでいた二人は父を励まし続け、いざ曹叡から復帰の声が掛かった時には、指揮下の全兵力をすぐに動かす事が出来るように準備を済ませており、その慧眼に司馬懿は「我が家にも麒麟児が生まれていたか」と感嘆した程でした。
その後も常に兄弟揃って父に付き従って軍略を実戦の場で学び、孔明の計略に掛かって魏延もろとも焼き殺されそうになった時は、親子3人で抱き合って死を覚悟した場面もありました。
父のクーデターの時の活躍も目覚しく、その死後はありがちな権力抗争も起こさずに兄弟力を合わせて内外の問題に立ち向かっています。しかし司馬師は呉に侵攻した時は諸葛恪に敗れ、蜀に攻め込んだ時は姜維の連弩で大きな犠牲を出し、また司馬昭も姜維の北伐を迎え撃った時に包囲され、郭淮の活躍で何とか脱出したりと、兄弟揃ってあまり戦は得意ではなかったようです。
しかし国内では反対派の夏侯玄らの粛正、幼い皇帝曹芳の廃立、代理に皇帝に立てた曹髦の抹殺と権力を思いのままにし、反乱を起こした毋丘倹や文欽の乱も鎮圧し、力で国を動かして行きます。
司馬師は文欽の乱の鎮圧の最中、左目の下にあったコブの病が悪化してそこから目玉が抜け落ちるという悲惨な最期を遂げます。実質的な独裁者となった司馬昭はその後、ケ艾と鍾会に蜀征伐を命じてこれを滅ぼしますが、その2年後に中風の病に掛かって急死。権力の座を引き継いだ司馬昭の子・司馬炎が皇帝・曹奐に帝位禅譲を迫り、ここに魏王朝は滅びて晋王朝が始まるのです。
ゲームでの二人の能力は本当に似たり寄ったりで平均点も高め。しかし武力が60台と前線向きではない上、知力も80台と中途半端。簒奪のダーティなイメージからか魅力も国家指導者としてはそれほど高くなく、結局そこそこの都市の太守で終わってしまったりするパターンが多かったりします。
本日のBGM:明日へのbrilliant road(『宇宙のステルヴィア』OP)
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