2011/02/27 (日)
名将たちが次々と散って行く魏蜀激突!今回は歴戦のあの猛将が・・・ 〜今週の『最強武将伝 三国演義』
さすがに北伐は時間を掛けてじっくり描いてくれますねー。
魏と蜀が激突している頃、一応蜀と同盟を結びながらも日和見を続ける呉・・・この時に国力を蓄えておけたのが、三国で最後まで生き残った礎となったんでしょうかね。 さて北伐中の孔明ですが、どうしても抜けなかった陳倉城の守将・郝昭が重病と聴いて、魏延と姜維に3日後に攻め掛かるように伝えます。蜀軍に潜入していた魏の間者は、3日後に総攻撃があると報せに陳倉城に戻りますが、折しも郝昭が病没。そこにいきなり孔明の命令を受けた関興が攻め寄せて来たために、遂に陳倉城は陥落。3日後に軍を率いて陳倉にやって来た魏延と姜維は、既に孔明が城を落としていて呆然とするのでした。それにしてもここで描かれた「蜀の桟道」は言語に絶しますなぁ・・・。蜀の兵が北伐に駆り出されるのが嫌になるとしたら、最大の理由はコレだろw 郝昭が病没して陳倉城が落とされ、大都督の曹真は病に臥せってしまった今、この危難を脱するにはあの男しかいない!と曹叡は、司馬懿を曹真後任の大都督に任じます。原作ではこの時簡単に大都督の任を受けず、自分に野心が無い事を見せようとする司馬懿の芝居(シャレじゃないよ)が見られるんですけどね。 さて、再び前線で相まみえる司馬懿と孔明。しかし孔明は尽く司馬懿の策の裏を突いてこれを翻弄。孔明は魏の郭淮や孫礼を罠に掛ける事に成功しますが、この時険しい山道で追撃戦を行おうとした張苞が崖から転落、重傷を負ってしまいます。
成都に送り返される張苞・・・しかし破傷風で傷を悪化させてしまう彼が前線に戻って来る事は無かったのです。蜀にとっては貴重な将軍だったのですけどね。 再び蜀軍の裏をかこうと張郃らを派遣する司馬懿ですが、これまた孔明に策を読まれて敗北。しかしこの時蜀軍の包囲網をあっさり突破し、しかも囲まれた同僚を救うために再度包囲網に突っ込んで味方を救出する張郃の活躍を見た孔明は、蜀のためにいずれ張郃を排除せねばならない、と決意するのでした。 さて、常に食料不足に悩まされた孔明の北伐ですが、ここで孔明は隴上地方の穀倉地帯に目を付けます。なんとかこの麦を刈り取って食糧問題を解消したい・・・そこで孔明は麦刈りを魏軍に邪魔させないために奇策に打って出ます。 霧の深い日、魏の陣営の前に妖怪の姿をさせた兵に守らせて、自分に扮装させた何人もの影武者を使って姿を表した孔明。これを見た魏の兵は「相手は妖術使いだ!」とパニックに陥ります。迷信が信じられていた当時の人々の心理を上手く突いたこの作戦で魏軍を陣の中に閉じ込めておいた隙に、隴上地方の麦を刈り取った孔明は、当面の兵糧不足を解消したのでした。 しかしそこに信じられない報告がもたらされます。呉との国境を守る李厳から、呉が魏と組んで大軍をこちらに向けていると・・・。もはや北伐どころではなくなった孔明は、已むを得ず全軍撤退を開始。これを見て追撃戦を主張した張郃は、司馬懿から伏兵に注意するように念を押されて出撃するものの、山間の狭い間道に誘い込まれた張郃は、矢と岩を雨のように浴びせられて壮絶な戦死を遂げるのでした。
という訳で今回の能力比べは魏の張郃と蜀の魏延です。
張郃は元々袁紹軍の将軍でした。曹操と袁紹、最大の激突となった官渡の戦いで、勝敗を決したのは曹操軍による袁紹軍・烏巣食料庫の焼き討ちでしたが、この危険性を早くから上申していたのが張郃でした。しかし袁紹側近の参謀・郭図に意見を用いられず、逆に曹操本陣への攻撃を命じられます。そしてその進軍途中に烏巣食料庫が焼かれてしまい、自己保身を計った郭図は「烏巣に向かわせた張郃が曹操に寝返った」と袁紹に報告したため、進退極まった張郃は曹操に降伏するのでした。いつの時代にも郭図みたいな奴っているよねー。 曹操揮下に加わった張郃は主に対劉備戦で活躍。劉備視点で描かれる事の多い三国志演義では、その分出番も多くて読者にもお馴染みの将軍となって行きますが、劉備贔屓の演義ではその分やられ役としてのポジションが定着してしまいます。 漢中争奪戦では張飛の智略にしてやられ、その後黄忠・厳顔の老将コンビにまで不覚を取り、挙句に主将たる夏侯淵まで殺されてしまい、身ひとつで曹操の前に敗残の姿を晒すなど、かなり悲惨な敗戦も経験します。しかし孔明の北伐では汚名返上とばかりに蜀軍の前に立ちはだかり、街亭の戦いでは馬謖・王平軍を打ち破って魏軍勝利の立役者となります。陳倉城の郝昭が重い病気に掛かった時も、郝昭に代わって陳倉を守れるのは他にいない!と派遣されたのも張郃でした。 蜀軍の追撃戦で伏兵に遭って戦死したのは前述の通りですが、張郃の戦死を知った司馬懿はこの名将の死を非常に惜しみました。ちなみに三國志正史の方では、この時伏兵を警戒する張郃に無理矢理追撃を強いたのは、司馬懿その人だったりするんですけどねw ゲームでは一流の武力と高い陸戦指揮能力を持つ武将として、終盤まで使えるタイプ。ただ猛将ゆえの驕りがあったせいか魅力値はちょっと低め。知力がそこそこ高いのは、正史の方の名将っぷりが評価されての物かと。演義だとあの張飛の智略に敗れているのでどうしても評価が低くなってしまいますからね。
魏延は蜀軍で五虎大将軍に次ぐ猛将で、趙雲亡き後の第二次北伐以降では姜維と並んで蜀軍最強の将軍として、蜀軍の主力として活躍して行きます。 しかし孔明とは徹底的に反りが合わず、最初に暴君の韓玄を斬って劉備に降伏した時も孔明は「理由はどうあれ、主君を斬って降伏するような者を許してはいけない」と斬首の刑にしようとします。他にも同様の理由で主を斬って降伏して来た将はいるのに、魏延だけこのような仕打ちを受けているのはどうにも納得が行きませんね。 それでも魏延は劉備からは高く評価され、漢中平定戦では曹操に矢傷を負わせ、誰もが張飛が漢中太守になると思っていたところを魏延が抜擢され、牙門将軍・鎮遠将軍・鎮北将軍を歴任。魏延も劉備には心酔していたようです。 しかし孔明が軍権を握ってからは次第に反故が生じ始めます。北伐では軍令を破って独断専行したりと問題行動が表面化。さらに軍略の意見の違いから孔明を臆病者扱いし始め、他の同僚との折り合いも悪くなって行きます。特に楊儀との仲は最悪で、軍議の最中に剣を抜いて恫喝するなど問題行動は更にエスカレート。 そんな魏延を孔明は、司馬懿もろとも焼き討ちで処分しようとする作戦を立てるも急な豪雨で失敗。この事件で二人の不仲は決定的な物となりますが、程なく孔明が病死。蜀軍の軍権は実力者である自分が継ぐと自負していた魏延ですが、孔明は遺言で軍の後継者に楊儀と姜維を指名。遂に不満爆発した魏延は楊儀に対して反旗を翻しますが、孔明の策で魏延軍に加わっていた馬岱によって不意を突かれて殺されるのでした。 孔明を崇める中国の人たちからも魏延は徹底的に嫌われており、その墓標はとっくに打ち砕かれ、しかもその上に鉄道が通っているといいますw しかし孔明との折り合いの悪さばかりが目立ってしまう魏延ですが、蜀建国の元勲の一人であり、南蛮征伐、北伐では失敗以上の功績も挙げています(王双を斬ったのも彼ですし)。ただ、自尊心が強過ぎたのが彼の最大の欠点でした。歴戦の猛将なのに、反乱を起こした時に誰も同調しなかったのが彼の人望の限界を露呈しています。 ゲームでは武力に特化した前線の将軍・・・政治も魅力も低いので、内政には全く向きません。後半のシナリオでは蜀軍の貴重な武の要となりますが、姜維の方がずっと使い勝手が良いので、他の将軍たち(馬岱や王平、張嶷)とあまり扱いが変わらないと言うか・・・まぁ一騎討ち要員ですなw
そうそう、今日は中山競馬場で中山記念(芝1,800mGU)が行われました。微妙な時期に行われる、中途半端な距離のレースでしかもハンデ戦・・・という事もあって、GT馬クラスが出て来る事はあまりないレースなのですが、今年は昨年の有馬記念馬・ヴィクトワールピサの参戦で注目が集まりました。ヴィクトワールピサはこの後ドバイ→香港→フランスと海外遠征が決まっており、出発前の国内での壮行レース的な意味合いが強い参戦です。まぁそう考えると時期的に使えるレースはここしか無かったのかな、と。 人気は当然ヴィクトワールピサ1本被り、単勝はなんと1・4倍。2番人気は勇退する池江調教師が送り出すリルダヴァル、3番人気は迷走する実力馬リーチザクラウン、4番人気は3年前の皐月賞馬キャプテントゥーレ。ここはちょっとヴィクトワールピサの格が1枚も2枚も違う感じです。
馬券の買い方はもうここはヴィクトワールピサ1着付けの三連単で良いでしょう。あとはキャプテントゥーレ・リーチザクラウン・リルダヴァル・マルカボルト・ミッキードリーム・レッドシューターを2・3着に散りばめた感じ。 結果・・・
全く危なげなくヴィクトワールピサの完勝。しかもいつもと違う後方待機策〜大外ブン回しというレースでの勝利で、また一皮剥けた感じです。それにこの馬とデムーロ騎手に関しては昨年の有馬記念でも記した因縁(調教助手の方との友情物語)もあるので、迷わず1着付けで買えました。
馬券もしっかり獲れたので言う事無し。2着以降もほぼ人気通りでしたが、特に状態の良さが伝わっていたキャプテントゥーレ2着付けを厚めに買えたのが良かったです♪ なんとかこの資金をクラシック戦線まで引っ張りたいもんですな。
本日のBGM:跪くまで5秒だけ!(『君が主で執事が俺で』OP)
インフォメーション:日本赤十字社・NZ地震救援金受付
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