2011/12/26 (月)
日本海海戦をこれだけ正確に、かつダイナミックに描いた作品は初めてかも 〜『坂の上の雲』最終回
3年にわたって放送されたこのシリーズも遂に最終回。その最大の見せ場は勿論日本海海戦です!
対馬沖に現れたロシア・バルチック艦隊を迎え撃つ連合艦隊・・・その戦力は、戦艦4・装甲巡洋艦8・巡洋艦12・海防艦及び砲艦4・駆逐艦21・水雷艇39。それに対してバルチック艦隊は戦艦8・海防戦艦3・装甲巡洋艦3・巡洋艦2・駆逐艦6。小型艦艇の数では日本が圧倒しているものの(近海なので航続距離というネックがないので)、海戦の主役である戦艦の数では実に2倍の戦力差です。 これに対抗するために、縦進陣で向かって来るバルチック艦隊に対し東郷平八郎は敵前回頭でその進路を塞ぐ、いわゆる「T字戦法」でこれを迎え撃った・・・というのが定説ですが、現実はやや異なります。 まずバルチック艦隊ですが、縦進陣は縦進陣でも2列で進軍しています。その前を塞ごうといわゆる「東郷ターン」で迎え撃った連合艦隊ですが、バルチック艦隊も当然これに対応して右に進路を取っています。つまり、「T」字ではなく、「フ」字みたいな形で両軍は戦う事になります。 T字戦法の最大のメリットは、横棒側(連合艦隊)は艦首・艦尾の主砲、及び舷側砲で敵の先頭艦に集中攻撃が出来ますが、縦棒側(バルチック艦隊)は先頭艦の艦首の主砲しか使えない・・・という事ですが、実際の両艦隊は並走しての砲撃戦に近く、ある意味互角の戦術勝負になったと言えます。東郷が敢えてこの形に持ち込んだのは、少しでも長い時間戦闘を続けるためで、ウラジオストクに逃げ込む艦を1隻で少なくするためでもありました。
ではなぜこれほどのワンサイドゲームとなったのか。理由を箇条書きにしてみると、 @地球を半周して来たバルチック艦隊の疲労度と、本拠地の庭先で迎え撃った連合艦隊の兵員の士気の差 A長い航海の間、殆ど訓練が出来なかったバルチック艦隊と、連日猛訓練を積み重ねた連合艦隊の練度の差(砲撃の発射速度と命中率は実に3倍もの差があった) B本拠地が近い連合艦隊は整備状態も完璧だったが、バルチック艦隊は長い航海であちこちガタが来ており、艦底には牡蠣などの貝がこびりついて速力が満足に出せなかった C2列で侵攻して来たバルチック艦隊の後衛は、前列に味方艦がいるために開戦当初に全力での砲撃が出来なかった D連合艦隊の砲弾には燃焼力が高い下瀬火薬が用いられており、延焼力で相手を圧倒したが、バルチック艦隊の砲弾は不発弾が多かった ・・・などでしょうか。 バルチック艦隊の先頭を行くロジェストヴェンスキー提督の旗艦『クニャージ・スヴォーロフ』は真っ先に狙われて大破。続いて戦艦『オスラビア』が砲撃を受け、戦闘開始後33分で沈没。先頭を進むこの2艦が撃破された事で後続の艦は陣形を乱し、連合艦隊によって各個撃破されて行きます。まずは戦艦『インペラートル・アレクサンドル3世』と戦艦『シソイ・ヴェリキー』が舘ひろしこと島村速雄率いる装甲巡洋艦からなる第2戦隊に捕捉されて撃破されます。
残るバルチック艦隊は逃げに転じますが、連合艦隊は駆逐艦と水雷艇による夜襲を敢行。この攻撃で大破していた旗艦『クニャージ・スヴォーロフ』はじめ、戦艦『インペラートル・アレクサンドル3世』や戦艦『ナヴァリン』、装甲巡洋艦『アドミラル・ナヒーモフ』が撃沈。夜が明けた時、既にバルチック艦隊の主力艦はネボガトフ少将率いる第3戦艦群の戦艦『インペラートル・ニコライ1世』と3隻の海防戦艦(巡洋艦並みの大きさの旧式戦艦)しか残っていませんでした。 これを捕捉した連合艦隊は一斉攻撃を開始。ネボガトフ艦隊は白旗を掲げて降伏の意を示しますが、作品内でも東郷が言っていた通り、機関を止めずに逃走を図る意志が観られたので攻撃は続行。離脱を諦めたネボガトフが艦隊の機関停止を命じ、この艦隊は連合艦隊に拿捕されます。作中で真之が『インペラートル・ニコライ1世』に使者として向かいますが、この時の同艦の描写が実艦に非常に忠実で、この作品に携わった考証人の本気度が伺えますね。 2日間に渡ったこの海戦で、バルチック艦隊が被った損害は下記の通り。
戦艦8隻 → 6隻撃沈、2隻拿捕 海防戦艦3隻 → 1隻撃沈、2隻拿捕 装甲巡洋艦3隻 → 2隻撃沈、1隻中立国へ逃走後、武装解除 巡洋艦2隻 → 1隻撃沈 駆逐艦6隻 → 3隻拿捕 1隻中立国へ逃走後、武装解除
無事にウラジオストクに辿り着けたのは僅かに巡洋艦1隻、駆逐艦2隻のみ。それに対し、連合艦隊の沈没は小型の水雷艇が3隻(うち2隻は衝突事故)のみ。 ちなみにこの海戦に参加した日本の装甲巡洋艦『日進』には若き日の山本五十六が水兵として乗り込んでおり、敵弾によって左手の人差し指と中指、それに右足のふくらはぎをもぎ取られる重傷を負っています。他にも戦艦『富士』が主砲塔を吹き飛ばされたり、『三笠』も大小多くの被弾を受けて小破しています。 ・・・ドラマの方に話を戻すと、戦いの後に真之を迎えたのは母の死でした。多くの生命が散る戦場と母親の死に無常を感じた真之は海軍を辞めようとすらしますが、結局その座に留まる事に。 日露戦争はアメリカの仲介で終戦を迎えるものの、実はこれ以上戦争を継続出来ない日本の財政実情から足元を見られ、ロシアから賠償金を得る事が出来ずに戦後交渉は失敗。国民の政府に対する不満を残す結果となってしまいます。 その後、終戦に伴い連合艦隊は解散。この時に東郷平八郎が読み上げた「連合艦隊解散の辞」を作成したのも真之でした。しかし真之は天寿を全う出来ず、49歳で病死。兄の好古は近衛師団長・陸軍大将・教育総監にまで出世。退役後に自ら願い出て地元の中学校の校長に就任、71歳で死去しています。 明治の海軍と陸軍を支えた名将が実の兄弟だったという必然、そして戦争とは無縁の文学の大家である正岡子規が同郷の親友であった偶然。まさに明治の日本は「まことに小さな国」だったのかもしれませんね。
本日のBGM:君を見ている(『ジパング』ED)
|